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少し前に「傲慢と善良」、つい最近「自転しながら公転する」という二冊を読んだ。
似ていると言ってしまうと安直すぎるが、読み終えて感じたことには共通している要素がいくつかあったように思う。
まず、相手の価値を値踏みする時、多くの場合は自分を顧みることをしない。
自分は相手に何を与えられるのか。
恋愛において、本当の意味での他者(家族以外の他人)と対等な関係を築くための要素のひとつが「等価交換」ではないかと思う。
相手と関わることは、自分にとってどんなメリットがあるか、つまり損得勘定による人間関係を私は否定する気はない。
むしろ合理的だと思うが、自分自身もまた他者から値踏みされていることを忘れてはならない。
自分自身を棚に上げる。
それは傲慢というものだ。
しかし、恋愛感情は複雑であり、何か一つだけ良ければ上手くいくというものでもない。
他者との関係なのだから、相手があってこそなのだから、折り合いをつけてゆくしかない。
求めすぎてはいないか。
そう問いかけられているような気がした。
次に、他人軸ではなく自分軸を持つことの大切さだ。
昨今、アイデンティティやら個性やら個を重んじることを良しとする風潮があるわけだが、だからこそ他人と自分を比較してしまうこともあるのではないだろうか。
ファッションやライフスタイル、趣味嗜好、価値観といった個を表現する方法はいくらでもあるが、多すぎるが故に迷う。
本来、個性は作ろうとするものではなく、作られてゆくものだと私は思う。
個を重んじるからこそ、個性が無いことに焦りを覚えたり、個性的な他人を羨んだりすることがあると思う。
確固たる芯を見つけること、自分という人間を突きつめて見つめること。
情報社会の中で、様々な誘惑があって外側への視線にばかり気を取られがちだか、常に内側(自分自身)に目を向けることを忘れずにいたい。
自分の幸せなんて自分で決めればいいし、他人と比べるものでもないし、何が幸せかなんて自分の捉え方でしかない。
とにかく自分を愛して、自分を労ること。
「柔らかくてまぁるい心で穏やかに健やかに生きる」これを徹底したい。
疲れ果てちゃうまで働く必要なんてないし、自分を大切にしてくれない何かにしがみつく必要なんてない。
とにかく自分を大切にして、誰かになにかを求めすぎることなく、自分軸で自分だけの幸せを見つける。
その中で人生に寄り添ってくれる人がいたら、それはそれで幸せの形のひとつだよね。
焦る必要もない、ゆっくり深呼吸して、景色を、季節を楽しみながら自ら心を豊かにしていく。
少しずつ涼しくなってきました。
秋の足音が聞こえる気がしますね。
あなたにも、わたしにも幸あれ。
おわり