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4月ぶりのヨルシカライブ
今回のライブは、2023年に開催されたライブ【前世】の追加公演だが、朗読劇のコンセプトはそのままに、セットリストや演出などを変更した内容となっている。
ヨルシカ LIVE TOUR 2024 「前世」公式ページはこちらから
午前中は仕事して、そのまま4月ぶりのヨルシカへ。
15:15くらいに会場着いて、激混みだけどガチャもグッズも後書きブースも余裕で開演前に回れて良かった!
⇓ タイムスケジュール的にはこんな感じでした。
15:15 会場到着
15:20 ガチャブース
15:25 グッズ売り場
15:30 後書きブース
15:45 入場
16:10 開演
グッズ
とりあえず記念にガチャやっておくかとわちゃわちゃとした人の流れに乗って、無事に2回回した!
suisさんデザインのシークレットが「まさにsuisさん」という感じがして可愛らしい。
欲しかった「言って。」のデザイン出なくてしょんぼり…(´・ω・`)
今回も事前通販が行われたが、正直当時は欲しいものがなくて見送っていた。
しかしいざ会場に来てみると、神奈川公演限定デザインのタオルを身につけた人たちに目が奪われ、流れるようにグッズ購入の列に並んでいた(笑)
(あとあと家に帰ってからほかの公演のタオルも調べたら、愛知の水色が1番好みだった)
そのあとには、そのままの流れで後書き企画のブースに並んで、オリジナルピックを無事に手に入れることができた。
今回の座席
S席、A席、B席と3種類の券種があったが、月猫同様に今回もA席だった。
S席なんて私は当たることないんだろうな、、、笑笑
会場内は、鳥の鳴き声と木々のざわめき(風に揺れる葉、水のような音?が合わさっているように感じた)が聴こえる。
空調の風もあり、心地のよい涼しさがまさしく自然を感じさせる雰囲気だった。
前回含め「前世」公演を観るのは初めてだが、多くの方の過去のライブレポや写真を見ていたので、ステージの上手に一本そびえたった百日紅の木に「待ちわびた舞台セットだ」と密かに心躍った。
相変わらずのスモークで写真を撮ろうにもおそらく写りは微妙なので、閉演後に撮影することにして、いまはこの会場の雰囲気を堪能しようと決めた。
座席は列の端で、右隣を気にする必要がないことがとてもありがたいと思った。
15:50ごろに開演前のアナウンスが始まったかと思うと、その女性の声色はとても静かで穏やかな物言いで、この世界観を崩さぬ工夫なのだろう。
その後16:00頃に再びアナウンスが行われたのだが、ハキハキとした聞き心地のよいその声がsuisさんで驚いた!
着座指定のないヨルシカのライブに私もワクワクしています。
イントロが鳴ったら気後れせず、ぜひ全身で音楽を楽しんでくださいね。
みなさんと特別な夜を楽しみたいと思っています。
そして開演予定時間を過ぎた16:10ごろからついに公演が始まった。
セットリスト
朗読① 緑道
1:負け犬にアンコールはいらない
2:言って
朗読② 夜鷹
3:靴の花火
4:ヒッチコック
5:ただ君に晴れ
朗読③ 虫、花
6:ルバート
7:雨とカプチーノ
朗読④ 魚
8:嘘月
9:忘れてください
10:花に亡霊
朗読⑤ 桜
11:晴る
12:冬眠
朗読⑥ 青年
13:詩書きとコーヒー
14:パレード
15:だから僕は音楽を辞めた
朗読⑦ 前世
16:左右盲
17:春泥棒
朗読⑧ ベランダ
ライブの感想
どうして忘れてしまったんだろう
スクリーンに投影された「written by n-buna」の文字に興奮しつつ、中央から少し下手寄りにベンチに腰掛けたナブの朗読から始まる。
今回の物語は、緑道を通って百日紅の木の下にあるベンチで男女が繰り返し会い、彼の口から語られる夢で見た前世の記憶を聞くことから始まる。
単なる夢ではなく、まるで実体験かのような不思議な感覚を抱く男は、その夢について話をするうちに気が付く。
「どうして忘れてしまったんだろう」
「前世」
これが前世の記憶なのだと感じ始めるのである。
序盤の朗読の中でインパクトのある言葉たちが度々、黒背景に浮び上がっては消えていくのがとても印象的で、いまでも忘れられない。
そんな中、まさかの1曲目だった『負け犬にアンコールはいらない』では、ライブアレンジされたイントロから周りの様子を伺いながら皆が徐々に立ち始める。
体感だけどアリーナはほぼ立ってて、スタンディング席は立ってる人も座ってる人もいたけど、思ったより座ってる人が多く、これまでの楽しみ方を貫く人たちの姿を目に見えてなんだか感じられてホッとした。
赤いワンピースドレスの上に腰に巻いた白いエプロンみたいな恰好で、suisさんは赤ずきんちゃんのような衣装だったそうだ。
そう、ちなみに私から演者の姿はほぼ見えてない(笑)
角度的にまさっくさんキタニナブはっちゃんさんがチラホラ…suisさんに至ってはほぼゼロw
それでもやはりアリーナだけあって音圧みたいのものは凄かった。
とはいえ、個人的にはぴあアリーナは特別音が良いかと言われれば、そうではないように思う。
そして、引き続き披露された『言って』も、ヨルシカの楽曲の中ではかなりアップテンポでクセになる曲調なので自然と身体も音にノることができた。
夜鷹にさえもなれやしない
この場面の朗読では、男女の関係がだんだんと分かってくる。
かつては一緒に暮らしていたが、いまはそうでないということ。
前世の記憶である夜鷹目線の映像が大きなスクリーンに表現され、自由に空を飛び回る様子が見て取れる。
飛行し、虫を食べ、自らが雨を降らせているのではと錯覚するほどに激しい水浴びなどの鳥だったころの生活をどんどん口にする男。
その主観映像はほんとうに壮観で、それぞれの場面の映像演出がとても素晴らしかった。
もしこの「前世」公演が映像化するのであれば、また必ず手に入れなければならないと思う。
というのも、音楽的要素としての価値だけでなく、ヨルシカのライブにしかない芸術があるからだ。
そして、そんな鳥の生活の中である日ふと水たまりに映る自分の姿を見て違和感を感じる。
海の上を飛びながらただただ目指す先にあるのは、海面に映る太陽光のまばゆさだ。
でもその光に強く惹かれる理由のは、実は太陽に憧れを抱いているからではなく、「月光」だったんじゃないかと思い至った頃には鳥の記憶はあやふやになっていた。
そんな朗読から披露されたのは「靴の花火」。
大きなスクリーンを生かした切ない夏の終わりを感じさせる映像が美しすぎて涙…
個人的に、この曲の演出も演奏も本当に本当によかった。
からの『ヒッチコック』ですよ!!!!!!!
アウトロかっこよすぎて気づいたら自然と胸の前で合掌してた笑笑
そして代表曲『ただ君に晴れ』では、とにかくクラップの揃い方凄すぎてもはや笑っちゃうくらい。
皆が探り探りにノリ方を模索する中で、なんだか一気に会場がノリノリになった気がした。
羽のある虫
雨が降る中、今日もまた彼の口から語られる「前世」の記憶たち。
虫や花、魚だったころの記憶。
その中で、「羽のある虫」という言葉が出た時はハッとした方が多かっただろう。
完全につながってますやん、の高揚感!
4月の月猫追加公演が記憶に新しいからこそ、より色濃く感じられるヨルシカの物語性。
そして、なんとなく「月猫で『ブレーメン』やったから今回はセトリ外れるかな?」と思ってたら予想が的中。
そんな中、今回追加された『ルバート』は、ホーンセクション入りで音源以上に「楽しい!楽しい!楽しい!」を表現してくるが、その煽りが逆に滑稽さを映してるみたいで単なる「楽しい!」ではないところがヨルシカらしいというか。(文章が成り立っていないことは重々承知しています笑)
からの伝家の宝刀、大振りアレンジ『雨とカプチーノ』ではスクリーンに「THE雨カプ」なアニメーションが流れる。
個人的に、「『チノカテ』も月猫でやったから変わるか?」と思ったら削除されてたのはもの悲しいが、ヨルシカのいろんな曲を生で聴けることは純粋に嬉しいと感じた。
水中から月光を見上げる魚のような
雨カプ終わりに大きな拍手に包まれながらステージに薄いベールが下りる。
そのベールに映像が映し出されている間のマイクのプツプツと途切れるレコードのような音がレトロ感あって好きだった。
ここの朗読では、より古く、記憶の奥底に眠るかけらがひとつひとつ繋がっていくような感覚だった。
月の光、水の中から光を見上げるような映像がもうそれじゃんっていう…
『嘘月』では、立ち上がって聴くにはあまりに苦しいというか切ないというか、そんな気持ちが押し寄せ、周りが立ち上げる中でも一人で着席のまま静かに涙した。
楽器隊×オーケストラの大空に広がるような音の解放感とsuisさんの優しい歌声が相まって鳥肌立った。
スクリーンには上半分ほどを占めるドデカ月。
立ち上がらなかったからあまりよく見えていなかったのだが、いつの間にか舞台セットが大きく左右にそびえたつ本棚に囲まれた部屋の中?へ変わっていた。
終演後に個体さんたちのレポや感想、考察などを読む中で、大きくそびえたつ本棚をはじめとした不自然さは私の視点(周囲のモノが大きく感じられる)を表しているというのに気が付いて、感心した。
決して上から目線とかではなく、一人の人間としてそうした細かい演出やアイデアが湧いてくることが羨ましいと思う。
創造性は私から最もかけ離れた言葉だ。
そこへ押し寄せるオーケストラの迫力と壮大さは素晴らしかった。
ただ、オーケストラの演出が音の分厚さや彩りをさらに増し、生音ならではの音圧があって圧倒される瞬間がかなり多かったけど、やりすぎ感みたいなものを感じる瞬間も少しあった。
あとは素人感覚だが、そこまでこの会場の音がいいとは感じられなかった。
そんな極端な感想に複雑な気持ちになりながら披露されたのが『忘れてください』。
個人的にはここで気持ちが一気に醒めてしまった(笑)
というのも、この曲に限らずそもそもクラップでノるのが好きじゃないのだが、やたらと煽られるし、周りも不揃いながらにクラップしてる。
言葉を選ばずに言うなら、私の想定するヨルシカの芸術性とは乖離する未完成な会場の雰囲気がすごく歯がゆかった。少し、気持ち悪く感じてしまった。
それでも、「もう忘れてしまったかな」と始まる『花に亡霊』は、スクリーン全面に広がる花火たちやそれに呼応する線香花火のような紫の照明が美しすぎた。
とても良かったという月並みな言葉しか出てこないことが悔しいほどに。
狂い咲きの桜
ここの朗読パートが特に苦しくて切なくて、個人的に凄く良かった。
雨から逃れるようにして久しぶりに彼の部屋を訪れた私が、「ホットミルクでも作ろうか」と台所へ立った彼を横目に、懐かしさの中で部屋を詮索していると不意に写真立てが床に落ちる。
その中央には男女が肩を寄せている。
私と彼の姿だった。
これ、楽しかったな
とつぶやく彼。
そして、ずいぶん前からめくられていない日めくりカレンダー。
あの頃のふたりの話になった。
「狂い咲きの桜」が咲いたから見にいこうとピクニック気分で向かったが、実際の桜はまばらにピンクの花をつけた枯れ木のような桜の木だった。
狂い咲きとは本来そういうものなのに、勝手に理想の姿を作り上げて舞い上がっていた自分たちの様子がなんだか滑稽な気持ちになったというエピソードだ。
この物語の展開の最も重要な要素である「思い込み」という伏線をひとつ張る。
朗読パートで感じた感傷が愛おしいものだったからこそ、本当に本当にこれは個人の見解だけど、『晴る』のコレジャナイ感…(´・ω・)
無理に盛り上げようとせんでええよ~
となってしまった。
「盛り上がっていきまっせ」みたいな照明が個人的には好みではなく…
もっと照明を厳選して雲間から差し込んだ一筋の光みたいな演出が合うじゃないか?と思った。
あの、終盤のティーン♩みたいな静寂訪れるところで、正面ライトがステージ下から一気に会場中に光が走ったところはとても良かった。
ラストのアカペラ部分ではsuisさんだけにライトが当たって、その声に会場中が全集中してる感じがして息を飲んだ。
余談だが、ここらへんで「もしかしてだけど、この流れは『思想犯』なし???」と内心大焦り。
セトリ落ち辛すぎる!!!
「盗作」、絶対に再演してくれ!!!!
その後はセッションからの『冬眠』。
スクリーンに映る「THE END」で胸がぎゅーーーんッ!!!!
これが走馬灯か。
私の視界からは捉えられなかったが、suisさんが最後にソファに寝そべるという演出もあったらしい。
終演後の個体さんたちの感想でも、大絶賛されてるのに全然記憶ないので…
映像化求む。
エイミーとエルマの凝縮追体験
やっぱり、悲痛な叫びという表現を彷彿とさせる『詩書きとコーヒー』、とてもとても良かった。
ひとりでに「もっとヨルシカの音楽を突き刺してくれ~~」と思ってた。
そして切ない優しいとは相対する冷たさのあるsuisさんの低音…
しかも「月光」を思わせる手書き歌詞…
はぁ、苦しい。
さらに、『声』out『パレード』in、こちらも手書き歌詞
『だから僕は音楽をやめた』、散々あの二人の物語を辿るスウェーデン巡りしてからラストに桟橋にたどり着いてるのしんどすきる…
(実は例の桟橋ではないと気づいた個体さんがいて凄いなぁ~と尊敬。)
しかもどれも手書き歌詞。
なんだか狙いにまんまとハマってる感じがして悔しいけど、胸が苦しい。
ただ、ここの流れめちゃくちゃ好きなのにやっぱり手を上げたりしてノッてる人と自分との差に落胆するというか。うーーーんとなってしまった。
だけど、最後の冷たく言い放つようなsuisさんの「だから僕は音楽をやめた」の歌声のあとには大きな大きな拍手が沸き起こった。
改めてこの曲の暴力性というか、鋭利さを突き付けられた気がした。
とはいえ、やっぱり音楽部分だけでなく、朗読や舞台演出をもっともっとじっくり見返したいので必ずや映像作品化してほしいし、もしくはさらに追加公演しませんか?(笑)
愛しさともどかしさ
暗転して朗読が始まるといつのまにか百日紅の木が中央へ。
降りしきっていた雨は止み、日が暮れていた。
彼が入れてくれたホットミルクも、もう底が見えていた。
×××、おかわりはいる?
そう問いかけた後に彼は何か大きな間違いを犯したように苦い顔をする。
あの頃はよかったよ、毎日楽しくてさ。
でも、もう戻れない。戻りたくても戻れないんだ。
本当に、大事だったんだ。
ぽつりぽつりと口にする彼の言葉に胸が痛い。
俺は、犬相手に何を言っているんだ
私はふと鏡を見た。
そこに映っていたのは一匹の犬だった。
そして、自分が犬であり、これまでの記憶は自分の「前世」の記憶だったことに気づく。
この仕掛けを作り出したn-bunaという男の変態さといったら頭を抱えるレベルだろ。(急なオタク口調)
いよいよ終盤に差し掛かっての『左右盲』では、「キタニパイセンハモリなんだ!?」と音源では全然気づいてなくてひとりでドギマギしてたw
2023年に日本武道館で行われた【前世】ライブにおいて(今回の追加公演においてももちろん)、物語の核となる重要な曲である『春泥棒』。
この曲のMVは、ある男女が過ごした時間を一気に振り返るような壮大なスケールでのアニメーション映像作品となっている。
本当にここまでのミスリードの仕掛けが美しすぎるからこそ、この「前世」という公演への愛おしさがあふれ出す。
この物語の最大の見せ場である『春泥棒』はめちゃくちゃ良かったけど、全体的に中途半端にノってる感じ(わたし的には立ち尽くしたい)がやっばり集中力を欠いてしまう。
4月の月猫でも予定外に聴けてしまっていただけに、個人的にはなんだか少し感動が薄かった気がする。
できれば『春泥棒』はこの「前世」公演までもったいぶってほしかった。
(これもある意味、狂い咲きの桜のエピソードのように思い込みであり、ヨルシカというアーティストに対して勝手な理想を描いてるだけだよなと思ったり…)
ラスサビ前の暗転静寂からの紙吹雪は音でなんとなく仕掛けが分かったけど、いざサビ来たら鳥肌。
残念ながらアリーナ後方までは届かなかった。
百日紅の花びら欲しかった~~~
君さえ良ければ
楽曲パートが終わり、最後の朗読パートへ。
眠ってしまった私(犬)が目を覚ますと、かつて暮らしていた部屋のソファの上だった。
彼がかけてくれた毛布から出て彼を探すと、ベランダにいた。
もう戻ることのできない彼との愛おしい日々を思い返しながら、生まれ変わって彼のもとへと戻ってきた私という存在に何とも言えない気持ちになる。
明日からまた、雨が続くらしいんだ。
彼が私のあたまを優しく撫でて、こう問いかけた。
「一緒に暮らそうか」
君さえ良ければ、と付け足して。
貴方は知っているのだろうか。
貴方にとっては一瞬の思い出にしかならないこの夜が、私にとっては一生忘れられない夜になるということを。
貴方はいつか、こんなにも美しかった夜のことを忘れてしまうのだろうか。
そうして終幕となり大きな拍手に包まれた会場をあとにすると、最後の仕掛けが待っていた。
会場の壁に幾枚も張り付けられていた前世2024の全てのポスターの中央に映っていた女性の上半身がページが破られたようになり、犬の姿に変わっていた。
「前世」を終えて
残念ポイントはアリーナ後方だったので、人の出入りが気になることと、ステージ全体を見るという意味ではスタンディング席(アリーナは平たすぎてまじで見えんかった)の方がよかったなということ。
ただ良かったとか最高だったとかだけじゃなく、色んな解釈や感じ方を許容して面白がれるのがn-bunaというアーティストだと思うし、特殊な作品を生み出すヨルシカに課せられたしがらみでもあるのかなとも思ったり。
2023年の「前世」を観てないから比較はできないけど、何故見に行ってないんだと後悔しかない。
…この最終公演日が今年最後の満月なのもナブによって計算されたものなのかしら。
やはり恐ろしい男だよ。